ロダク県の街道と寺院

ロダクの古街道を調べ直して改めて気がついたことがもう一つある。セからドボルンとは逆、つまり北に向かって高原地帯に入り、クーラ・カンリの麓を巻くようにしてロダク・タワ・ゾン、というよりむしろラルン・ゴンパ(ドゥク派ではなくニンマ派の方*[01] )に直行するルートが存在することである。実はロダク街道は、モンラ・カチェン・ラを越えてチベット側に入ったところでクーラ・カンリ山塊に突き当たってしまうため、大きく東に迂回する。つまり、まずクリ・チュの本流を下り、次に支流を遡ってロダクに到達する。目的地がロダクである場合はまだしも、さらにギャンツェ、ラサまで目指す場合には、これは遠回りでしかない。

セのセカル・ゴトゥク・ゴンパ(あるいはドボルン・ゴンパ)からラルン・ゴンパまでのルート(クーラカンリ街道?)を利用すれば、その日程を短縮できる。また、川沿いの道は雨期にダメージを受けやすく保守と安定利用が難しい。これもまたブータンで山越えの道が好まれる理由となっている。「クーラカンリ街道」は最高所のドゥム・ラが標高5,200m前後で、交易のシーズンである冬期の利用状況については疑問もあるが、そもそもモンラ・カチェン・ラはさらに高い。

さらに興味深いことに、このドゥム・ラの南にはペマリン(つまりペマリンパ)ゴンパという寺院がある(あるいは「あった」)。クーラ・カンリは天帝の雪山を意味するその名の通り、地域を代表する信仰の山なので、麓に寺院があってもおかしくはない。しかし、ブータン国内の例からいって、これら山岳部の大寺院――タクツァンなどの絶壁寺院も含む――は、一見人里離れた山中にあるように見えても、実は重要な交通・交易ネットワークの結節点にあることが多い。その建設位置にしばしば断崖や尾根の上が選ばれるのも、信仰上の理由だけでなく、街道の広範囲の地点から遠望できるという理由が大きいと筆者は考えている。ペマリン・ゴンパはまさにそういったロケーションにある。

ここまでを整理すると、ブータン中部(ブムタン)と南チベット(ロダク)を結ぶ主街道のルート上には、セカル・ゴトゥク・ゴンパ、ドボルン・ゴンパ、ペマリン・ゴンパ、ラルン・ゴンパといった重要な寺院があり、前の二つはカギュ派、後ろの二つはニンマ派(テルトン派)の伝統と強く結びついていると考えられる。また、これらの寺院のある場所は、仏教布教以前から交易の中心地であり、むしろニンマ派、カギュ派は、その中で調停、管理といった役割を担うことで影響力を深めていったと見られる。

、なお、まだ裏付けする資料を発見していないが、筆者はドボルン・ゴンパはムグ方面に抜けてシンゲ・ゾン~ドダクの街道に接続するルートの起点というだけでなく、そこから途中で分岐して南の分水嶺を越え、クリルン北部、つまり現在のブータンのルンツェ県北西部、さらにはそこからブムタンのチョコル谷やタン谷に抜ける遊牧民の放牧ルートの起点であったと考えている。


  1. ツァンパ・ギャレーが開山したドゥク派の本山はRalung རྭ་ལུང་ で、こちらはLhalung []

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