『ギャル・リグ』によるションガルのドゥンの起源の伝承

「湖水魚蛇型」の祖先伝承の検討のために、マイケル・アリスが1728年に書かれたと言っている、『rGyal-rigs ギャルリグ*[01] 』の中にあるションガルの王族の由来を述べる伝承を紹介しましょう。John A. Ardussiが編集した、アリスの“Sources for the History of Bhutan”に収められたワイリー表記原文と英文を元に訳出してます。ただし、アリスの英訳は仏教用語やチベット事情に詳しくない欧米人を対象にしたものと思われ、その部分の意訳は日本語訳に際して修正した方がいいと思うのですが、部分的にしかできていません。また、そもそも300年前の「古文」であり、ある意味お経のようなものですから、現代語訳自体が難しい上に、私自身が古典チベット語は「なんとか読めても意味はさっぱり」ですから、かなり怪しい作業す。ただ、別伝との比較のためには、せめてシノプシス程度は比較できないと話が始まらないので、とりあえず試訳を発表し、あらためて順次注釈を入れつつ修正してくことにします。

なお、数字とアルファベットの組合せは、原本のページ番号だと思います(ペチャと同じで短冊の表裏なのでa/bがあるのでしょう)。

ここで翻訳しているのは、東部の王族の系統の中でも、ウラ、ションガルのドゥンと呼ばれる家系について述べられている部分のうち、ションガルに伝わる伝承の一部です。というのは、ウラの伝承とションガルの伝承は、どちらも東ブータンのドゥンの家系について、「うちが元祖」というような異同があり、著者とされる僧侶ガワンも、両方を紹介しています。つまり、記紀の「一書に曰く」みたいなことになっているわけです。この2つの伝承は、重なる部分と矛盾する部分があります。

逆に言えば、ウラの方の伝承も合わせて読まないと、本当はうまくありません。ただ、そっちには魚に変身して遍歴するエピソードは入っていません。その代わり、最初の方に私が「金索降臨型」と言っている、天から神が降りてくる話があって、私は小林さんの講演であった、ジョモ・カンカルの「金の階段」はこれと関係あると思ってます。

(36a)
さて、ブムタン・デシのドゥンの家系、ヨンラのジェの一族のそれとは異なった伝承、つまり宝典ドン・タンラ・オカルやションガルのモバルン、そしてドゥンスムのモンユル・トンスムの口伝によれば、メラやサクテンの遊牧民の先祖は、ツォナのセワカルにあった故郷、そしてデパ・ヤプザンポから逃れ、道を行きつつ天の神に祈り、その助けにすがった。三十三天を率いる、とう利天の帝釈天はこれを哀れんで尊い御子のグセ・ランリンをお遣わしになり、ロ・ドゥンツォ・カルマタンの土地神として手助けをするよう命じた。

(36b)
そうしてグセ・ランリンは「ム」の地の主として振る舞うこととなり、ムツァン・ラニャン・チェンポと呼ばれるようになった。ガンリ・カルポ頂上で東に高く美しいワンセン山を見かけたグセ・ランリンはそこに住むことにした。ムクルン・ツォモの湖畔の、広々ととして伸びやかな、そして居心地のいいこの場所で、彼は人間たちを見守る色界の八尊の長となったのだ。あるとき東から、ドゥンサムに城を構える王に嫁いでいく途中の、若くて美しい娘が、湖の近くで一晩過ごすことになった。その夜、湖から一匹の白蛇が現れ、娘の身体の上をはい、目覚めると消えてしまった。ドゥンサムに到着したときには既に身ごもっていた娘は、生まれた男の子を「バルケ(半生)」と名付けた。その子が父親無しに、神の介在で生まれてきたからである。

(37a)
成長したバルケはインドのドゥアールに向かった。ガツァンロンパという湖のほとりにさしかかったところ、彼が神の子であることに気づいた湖の蛇神に、呪術でインド行きを邪魔された。家に戻った彼は「私の父は誰なのですか」と母親に迫った。なかなか話そうとしなかった母親も、ついに語り出した。「あなたは人の子ではなくムクルンの神の子だから蛇神に邪魔をされたのでしょう」。バルケはすぐにムクルン湖に向かい、大声で父に助力を頼んだ。

(37b)
すると湖の中から、白い絹の着物を着て、頭を如意宝珠のついた布で包んだ男が現れて言った。「確かに私はお前の父だ。だからなんでも願い事を叶えてあげよう」。バルケがいきさつを語ると、父神は「それならお前に私の軍勢を授けよう。ただし、ガツァンロンパ湖に着くまでは開けてはいけないよ」と言いながら封印された竹筒を渡してバルチェを送った。竹筒の意味を疑ったバルケが、道の途中のテプで中を覗くと、毒蛇が何匹か出てきた。あわててフタを元通り閉め、湖に着いたところでもう一度開けてみた。するとどうだろう。

(38a)
いろいろな種類の蛇が地を埋め尽くすほど這い出てきて湖に殺到したかと思うと、そこはただの砂地になってしまった。湖底の中程に裏返しに置かれた鍋のようなものが見えたので、近づいたバルケはそれをひっくり返してみた。とぐろを巻いて中に潜んでいたのは蛇神の眷属だった。鍋で額を割られたバルケは死んで、飛び散った脳みそは魚に食べられてしまった。しかし、彼は半分神の子であったので、彼の意識はそのまま魚の中に入り、魚となったバルケェはダンメ・チュ、クリ・チュ、そしてションガルのモルベ・チュを旅し、チャンコ・チュまで来たところで土地の人の魚網に捕まり、ある独り者の男がそれを手に入れたのである。

(38b)
物言う魚をとても食べる気になれなかった男は、飼い葉桶に水を溜めて飼うことにした。ある日仕事から帰ってみると、既に誰かが水を汲んでいた。また、あるときには囲炉裏に火が入っていた。これはどうしたことかと怪しんだ男は、野良仕事に出かける振りをしてこっそり家に戻り、物陰から様子をうかがった。すると飼い葉桶の中の魚の腹から元気な男の子が出てきて、水汲みや火の用意をするではないか。そういうことなら、この子を自分の息子にしてしまおうと思った男は、脱ぎ捨てられた魚の皮を火に投げ込んで燃やしてしまった。こうして魚に戻れなくなった男の子は、人として生きることになった。

(39a)
なにしろ半分神の子であるから、武芸でこの子の力や技にかなう者がいるはずがない。だからこの子はレルパ・トプチェン(頑丈なかんぬき)と呼ばれる、イトゥン・ラと呼ばれる城を建ててウラ、モルバルン、さらに遠くまでその威勢が伝わることになった。あるときレルパ・トプチェンは、チャリにあった育ての親の家が見えるように山を削ってしまえと命じ、その通りにすることになったのである。そこで、智恵の女神が「大人を滅するは大山を滅するより易し」というお告げを伝えた。

(39b)
その真意に気が付いた臣下や民衆は、「みんなが金の矢でカルビの牧場で遊んでますよ。あなたも見に行かなくちゃ」と、言葉巧みにレルパ・トプチェンを騙し、その場所に着くと射殺してしまった。


この先、次の世代の王を探す話が続くが、それはウラ版や既に紹介したアリスの記録した口伝と重なり、また、メラの人の遍歴経路には直接関係ないので省略する。なお、大鍋やチャナ・ドルジにまつわる由来譚は、ギャル・リグでは語られていない。


  1. ’byung khungs gsal ba’i sgron me, 「王家の由来を照らす灯火」” []

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