ブータンの湖水魚蛇型祖先伝承 その4

神聖王の死

若者が成長し、その威光が広がると、人々は彼を殿様としてまつりあげた。トゥスタン*[01] の王である。いまも残るションガルのゾンは、彼……名前は忘れてしまったが*[02] ……によって建てられたと言われている。やがて、彼の力が並びなきものになり、人々は彼を怖れるようになった。こうして彼は皆の者を従わせ、養い、諍いを鎮めたのである。彼の死が近づくと、人々は奏上した。
「あなたが死んでしまっては、同じことができる人がいなくなってしまうでしょう。あなたは奥方を迎えてご子息を設け、跡継ぎにしてくれなくては困ります」
「私自身が神の子だから、ただ私の跡継ぎといっても同じことにはならないだろう」*[03]
いよいよ臨終のときになって彼は言った。
「いまから5年も過ぎれば、困ったことが起きるだろう。私の言うとおりチベットのヤルルン*[04] に向かいなさい。そこに僧院*[05] があるはずだ。子供たちがサイコロ遊び*[06] をしているから、私のサイコロを見せるのだ。私のサイコロがわかった子供がいれば、その子が探している子供だから連れて帰りなさい」

《このあと予言の成就とドゥンの起源が語られるのだが、本稿のテーマから離れ、また、他の伝承バリエーションと大差ない。むしろ、その後に語られる湖に係わる後日談が興味深いので、次はそちらを紹介する》

 


  1. 不明。アリスも綴り不明としている。しかし、具体的な地名の対応はともかく、これがションガル、あるいはトンプといったこの地域にかつて存在したといわれる地方権力の由来の説明であることは疑う余地がない。 []
  2. 別伝の紹介で説明するが、一般にはダクパ・ワンチュンとされている。 []
  3. すでに見てきたように、この王の特徴は、1)神との異種婚によって誕生した聖別王であること、2)そのことに起因する特殊な、呪術的な能力をもっていたこと、3)それらを踏まえて本人が血族相続を比定していること、の3つである。この口伝では天寿をまっとうしたことになっているが、威勢が強すぎた余り、あるいはそれによるおごり高ぶりのために、臣下に討たれたという伝承もある。臣下や民衆が結束して支配者を誅すというモチーフは、メラを始めブータン各地に非常に広範囲に、またさまざまな文脈で出現するため、有力な根拠とはなり得ないため、あくまで仮説だが、仏教以前に王殺しを含む祭儀の伝統があり、それを仏教的世界観、あるいはそれを前提とした新たな支配者層の伝承と接合するためにこの一連の伝承のような、起源、王統を語るにもかかわらず、その(少なくとも血族的な)断絶が中心的なモチーフとなるという、複雑な構造の説明として、検討して良いのではないかと思う。もちろん、このパターンの伝承がある程度現在に近い形で固定化した可能性が高い17世紀には権威、財産の継承システムとして転生制度がブータン社会にもちこまれ、定着していった時期でもあったこと、また、本来ギャ氏の家系的連続に大きな思想的基盤を置いていたはずのシャブドゥンの継承が、転生制度に移行することを余儀なくされたこと、ドゥンには(西ブータンには存在しない)強い父系相続的傾向があり、むしろその権威の連鎖や歴史的正当化を断ち切ることに少なくとも中央政府の政治的なメリットがあった、といった社会背景に説明を求めることも可能だろう。 []
  4. ヤルルンは西蔵南部、というより、ブータン国境北部の、広大なチベット世界全体から見れば非常に狭い範囲の地域である。しかし、その一方で、吐蕃王朝の故地という性格ももっている。ブータンの祖先伝承がヤルルン周辺にほぼ限定される理由は、地理的に連続しており、なおかつ中央に近いという中央-辺境の関係が背景にある可能性が高いが、同時にそれはブータンという国家を形づくった勢力が、チベット世界全体の中で見れば主流から外れていった面もある古代王朝の流れをさまざまな面で、少なくとも象徴的に伝承するという暗黙の理解があるような気がしてならない。 []
  5. 原文:“school”。この時代に現代的な意味での「学校」があるはずがない。おそらく、アリスは伝承ではダツァンとなっていたのを、それを通例のように「僧院」とは訳さず、あえてそうしたのではないか。なぜなら、ダツァンの本来の意味は僧団であり僧院だが、実際のそれは、たとえば日本人にとって「寺」よりむしろ「ミッションスクール」に近いと感じられる場所であること、この場合、後継者、つまり次世代の王が僧侶であるか(あったか)どうかはブータン的な文脈ではあまり意味がない(僧侶でありながら世俗的な権力者であっても別に問題無い)が、“monastry”とた場合、そうはならないだろう、という判断があったと想像される。 []
  6. 別伝では、一種の果実に結びつけられている。つまり、そちらの方がより土着的な要素と見られ、このサイコロ=身の回りの遺品による選別というプロセスは、その後の転生仏の認定のプロセスとの類似を強く感じさせる。この口伝では先王の遺言となっている部分を高僧の預言に置き換えれば、ほぼ同じになると言ってよい。 []

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