ブータンの湖水魚蛇型祖先伝承 その3

蛇精との戦いと遍歴

「承知しました」
そう答えて彼は出発したが、道の途中で懸念が増してきた。
「中はウツロなのではないだろうか。私は敗れて死ぬに違いない」
彼が中を覗こうとすると、隙間からその姿が猿に似た*[01] 異形の蛇が2、3匹這い出てきた。すぐに栓を戻したが、その場所こそ「ドゥル・チュ・リン(蛇の水の土地)*[02]」と呼ばれる土地であり、いまでもそのときの蛇の末裔が住んでいる。
湖に着いて竹筒の栓を抜くと、数え切れない蛇が出てきて湖に迫り、干上がった湖の跡には白い石が転がるばかりとなった。様子を見るため、湖のあった場所に歩み寄ってみれば、そこに大きな銅鍋*[03] が裏返しに置かれている。これぞ蛇精の宮殿*[04] に違いなしと裏返してみると、金の柄杓を手にした絶世の美女が出てきて柄杓で彼の頭蓋骨を打ち砕き、殺してしまった。飛び散った彼の脳みそは魚に食べられてしまったが*[05] 、人の子ではなかったが故に、その魂は魚の中に残った。いかにして人の体を取り戻すべきか。彼は川を下り、また遡ってタシガンに、そしてタワンに至り、そうしてモンの国のツォナに至った*[06]。しかし、いくら川をたどってもなにも得られなかった。次にクリ・チュをクルテまで遡ったが、それも無駄だった*[07]。そこで今度はションガルのドゥプトゥプ橋*[08] を経てブムタン*[09] に向かうことにしたが、そこで、ある男が仕掛けた魚網に掛かってしまった。
男が獲物の息を止めようと近づいてきたとき、彼は叫んだ。
「殺すでない!。いずれその方のお役に立てよう」
「なんと! この魚は口がきけるというのか。縁起でもない。いったいどういうことだ?」
そう言うと男は、魚を放さず、桶に水を汲んで中に入れ、持ち帰ることとした。2、3日もすれば勝手に死ぬだろうし、それから食べればいいと思ったのである。*[10] しかし魚は次の日も、また次の日もそのままの様子で生きていた。ある日仕事に出かけた彼が帰ってみると、既に夕餉が仕度されていた。*[11]
「なんてこった。これはどういうことだ? どいつが今日、俺の家に来たんだろう こんなことをするやつが思い当たらないぞ。なんでこんなことになったんだ?」
そう言いながらも彼は食事を食べて寝ることにした。次の日、彼が出かけて帰ってくると、また同じことが起きた。
「わけがわからない。しかしこれは、あの魂のある魚と関係があるに違いない。こいつは、あの魚の秘密を探らずにはいられまいて」
彼は家から出かけるふりをして森の中をこっそり戻り、家の様子をうかがうことができる1本の木に登って待ち構えた。すると桶の中の魚は、姿の良い若者に変じ、火を灯すと食事の仕度を始めるではないか。*[12] 男は急いで家に戻ると、抜け殻になった魚を火の中投げ込んだ。
「ああ、焼いてしまいましたね。そうしてはいけなかったのに」
そう言いながら若者が焼け残った魚の尾を火の中から取り出すと、尾は、肉やバター、布といた数え切れないくらいの財産に変じて倉を満たした。


  1. この表現の意味についてはアリスも不明としている。 []
  2. 位置不明。ただ、ションガル付近は蛇が多いので有名という話を聞いたことがある。 []
  3. 原文“bronze vessel”。湖なので「舟」かとも思ったが、ストーリーの最後に加えられた後日談というか縁起を見ると、寺院の調理に用いる、タライよりもさらに大型の鍋のことを指すのではないかと思われる。 []
  4. 鍋を宮殿と思い込むというのは不可解だが、地底、水底に蛇精(ナーガ)の宮殿があるという伝承、あるいは発想はブータンでは一般的で、いわば竜宮城のような異世界であるため、その入り口というようなニュアンスかもしれない。 []
  5. このエピソードはチベット式の水葬と、魚、特に鮮魚を食べる習慣があまりないこととの関係を、あとの漁師の存在も含めて想起させる。 []
  6. 口伝では述べられていないが、あとの説明も含めると、この具体的に名前を挙げられていない湖の場所は、現在のモンガルとペマガツェルの県境付近にある、クリ・チュとダンメ・チュの合流点より上流で、タシガンのドゥクスムより下流のどこか、ということになる。ダンリン・ツォも(支流を遡ることになるが)その条件に当てはまる。 []
  7. 同じマナス水系の2大支流であっても、ダンメ・チュは現在の国境を越えてアルナーチャル・プラデーシュまでさかのぼるが、クリ・チュは国境で引き返すというところに垣間見える、この伝承の背後にある地理認識が興味深い。 []
  8. おそらく、現在のクリ・ザム(自動車道路のクリ・チュの橋)より、やや上流のどこかににあったドゥプトゥプ、つまりタントン・ギャルポが作ったとされる鉄鎖の橋の1つであろう。調べればある程度特定できるだろうが、ドゥプトプの橋はいずれ全部をリストアップするつもりだし、この「捕獲地点」については、いずれにせよ異伝との比較が必要で、また、異伝の方が詳しいので、ここではここまでとしておく。 []
  9. アリスは綴り不明としている。ブムタンは最終的には同じマナス・チュに流れ込むといっても西のマンデチュ水系に属すので、これまでの説明のように簡単に川をたどって向かうことはできない。ただ、ここで「ブムタン」と言ったとして、それはションガルとウラの特別に密接な関係が前提とされており、トゥムシン・ラに向かう支流をさかのぼる(つまり、ナムリン滝の方へ向かうわけである)ことを「ブムタンへ」と表現したとしてもおかしくないと考える。むしろ、(それではすぐトゥムシン・ラで行き止まりになるので)その袋小路のことが(魚網は後付けで)伝承の原型だったのではないか。 []
  10. 漁師であるらしいこと、しゃべっているのを殺すのは気が引けるが、死んでしまえば食べることに躊躇ないらしいことなどから、この男は不信心者、あるいは未開人のように描かれていると思われる。その一方で、異伝には義理の息子の出世とともに殿様となった、というものもあり、神聖王である義理の息子との構造上の関係がわかりにくい。このあたりのエピソードは、『今昔物語』のような仏教説話の要素、あるいは語り口の影響を受けており、おそらく仏教伝来以前の伝承に基づくストーリーや関係性を歪めているような印象を受ける。ションガルの王(ドゥン)については、ウラとの「本家争い」を別にしても、さまざまなバリエーションがある。古代王国の(おそらく、アッサム、インド系の)伝承、中世の苛烈な封建領主の伝承、チベット高原から移住してきた支配階級氏族の伝承が入り交じり、さらにドゥンに象徴される支配階層の伝承と在地の民衆の伝承を合理的に接合して新たな神話を想像する際に、そういったさまざまな要素が影響を与えたのではないかと想像する。 []
  11. このあたり、夕鶴のような異類嫁譚、異類報恩譚を思わせる。覗いてはいけないというタブーを犯すことになる点は、魚の皮を燃やしてしまうところも含めて「羽衣」のような異類嫁譚に共通する要素でもあるだろう。おもしろいのは、普通は「嫁」であろうところが、ここでは実質的な「婿」であることだ。婿入り根が多いブータンの伝統と関係があるのだろうか。日本では羽衣譚と結び付くことがある七夕譚が、婿入り婚と関係するだけでなく、焼き畑農耕と関連するという説があることとも興味深い。 []
  12. 水汲み、常火の管理は、典型的な「女の仕事」である。これを、現在のブータン社会にも通じ、また、華南まで広がる母系社会的傾向の表れと見るか、それとも、叔父甥の氏族社会的関係に、左道密教的師弟関係がさらに重なったときに生まれる擬制的な婚姻関係のメタファーが影響しているのかが興味深い。 []

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