ブータンの湖水魚蛇型祖先伝承 その2

神童の誕生

ドゥンの家系はウスン王*[01] の末裔だ。あるとき、インド国境のカンパディ*[02] という国の威勢のある殿様が、ツォナ*[03] の殿様のご息女*[04] を奥方として迎えることになった。お輿入れの途中、彼女はタシガンの対岸あたりにある*[05] ツォンツォンマ*[06] という場所で3晩を過ごした。そこへ土地神、実は蛇精が白蛇となって現れ、3回彼女の身を行き来すると、彼女は身ごもり男の子を産んだ。赤子は、ふつうの子供の何倍もの早さで、おそろしく強い、人間離れした子供に成長した。この子が長じてインドに行こうとした*[07] とき、ふだんなら何ごともなく人々が通り過ぎる湖で嵐になって石が降り*[08] 、とても前には進めなくなった。人の子でなかったからである。
弱り果てた彼は考えた。
「父上さえ知っていれば、助太刀をを頼めるのに。母上は教えてくれようとしない。こんな時こそ、父上の一族*[09] の助けが必要なのだ」
そこで彼は家に帰る途中、剣を研ぎつつ母に言った。
「我が父上がだれであるか教える気になりませんか? ならば良いのですが、さもなくば、ここであなたを討たなくてはなりません」
「そなたに父上はいません」
「では、父なし子だとでも言うのでしょうか」
母は、なにが起きたかを話さなくてはならなくなった。すべてを心得た彼は、3種類の白い縁起物、3種類の甘露*[10] を集めると湖に向かい、それを投げ込むと大音声で呼ばわった*[11]
「父上!、父上!」
人身蛇体の神が現れて言った。
「いかがした?*[12]
「あなたは我が父君でしょうか?」
「いかにも。して、望みのほどは?」
「常なる身ならば安らかに行き交う湖が、我が身の敵となり行くことがかないません。この上は討べしと思いはしても、まだ幼き身のため、助太刀が必要なのです」
「ならば心やすくあればよい。私が良きように計らおう。今日はここに泊まり、馳走を召すがよい。明日になれば、手立てを講じてしんぜよう」
次の朝目覚めると、父神の馳走にも手を付けず、彼は尋ねた。
「いかように私を助けていただけるのでしょう」
「懸念せずとも良い」
そう言って父神は厳重に封をした竹筒*[13] を渡した。
「これを持参し、着いたら開くべし。だが、それまでは決して開けてはならぬぞ」


  1. King ‘Od-srung:伝承によればランダルマの王子で、ツアンマ王子の甥ということになる [Aris, “Bhutan”,1978, p.98] ほか。 []
  2. 口伝のテープ起こしなので、アリスも「チベット語の綴り不明」としている。現在の地名で思い浮かぶのはカルバンディKharbandiだが、異伝との比較検討が必要だろうし、あとで説明するようなこの口伝の性格から言えば、もしカルバンディだとしても、それは現在比較的よく知られたインド国境沿いの地域の1つ、という以上の意味をもたない可能性が高い。 []
  3. 現在の西蔵自治区错那県の県庁所在地。歴史的に東ブータンの一部を含む、この地域の中心地であり、ブータンの各民族集団の祖先伝承はいずれもなんらかの形でこの地に由来を求めていることが多い []
  4. ここだけ読むと、ツォナの王家がウスン王の末裔というように読めるが、これから語られる神聖王の後継者には、彼とは直接の血縁関係にないウスン王の子孫が選ばれるため、どちらとも判断できない。従って、この部分は「湖水魚蛇型」のプロットが、後段の「転生略取型」のプロットとの整合性をとるために「貴種流離型」の要素を仲介にしている、という程度に受け止めるのが適当だろう。 []
  5. 原文を直訳すれば「タシガンの近く、というより反対側の」となる。この湖をカリンの北のダンリンツォだとすると、タシガンを挟んでツォンツォンマ(北にある)とは反対(南になる)ということになり、位置関係が整合しない。また、英文では「タシガン」となっているが、伝統的な文脈を考えると、おそらく「ベムカル」となっていたはずで、それがどこを指すか、つまり現在のタシガン・ゾンの場所と一致するのかには一考の余地があると考える。もちろん、この口伝が採取された時点では、タシガンという地方名が一般化しているので、アリスではなく語り手がそのように意訳した可能性もある。いずれにせよ、異伝と比較すればわかるように、この口伝は地理的な説明にはあまりこだわっていない、あるいはその要素が情報としてかなり欠落している。 []
  6. 小林尚礼が2012年にこの名で呼ばれる山を取材したことを報告している。彼によれば「高い高い母の山」の意である。現在ポンメ・ゲオ、ヤラン・ゲオとインド領との三国峠となっている。しかし、よく知られているこのストーリーでは、父神も湖と関係づけられるのが一般的なのに対してツォンツォンマ付近にはそれらしいものがない。もっとも、この地方の典型的な土地神(Lha-Yul)のダンリンは季節移動するという話もあるとおり、ブータンの土地神は一定範囲を「領域」として支配する傾向が強く、言い換えれば、その中のどこに出現してもおかしくないとも言える。このあたりは、Francoise Pommaretの“Yul and Yul Lha: the Territory and its Deity in Bhutan”が基本文献だろう。 []
  7. 特にブータン東南部では、交易のためにアッサム平原まで行くのは一般庶民にとっても年中行事に近い出来事であったので、この「インドに行く」ということに特に深い意味はない、逆に言えば、すくなくともこの口伝の文脈の中で、特定の場所を目指したと想定する必要は無いことに注意する必要がある。 []
  8. この部分、アリスの原文のニュアンスが正確に写せたかどうか自信が無い。日本武尊の伊吹山のエピソードであるとか、「石が降る」ことが日本でもかつて凶兆として重要な意味をもっていたこと(網野善彦などの説)などを下敷きに意訳している。 []
  9. この部分、アリスの原文を直訳すると「叔父や彼の仲間たち」となる。父が誰かもわからないというのに、叔父の助けを当てにするというのは論理的に不可思議だが、おそらくこれは叔父甥の特別な関係を前提とした古代の氏族社会の構造を反映していると理解し、そのように意訳した。さらに、そういった民族学的叔父甥相続とは別に、チベット社会の聖俗二元構造が、世俗権力と宗教権威を兄弟で分配するという事例を一般的にしている点も考慮する必要があると思われる。なお、このあと出てくる漁師と彼の関係を叔父甥とする異伝もあり、後述するように彼が「特殊な」職業であることも含めて、ペマリンパの出自における義父の鍛冶屋の存在なども考え合わせる必要があるだろう。ただし、アリスはこういった不整合の理由を全体として、この伝承の成立時点の換骨奪胎やそれに伴う細部の欠落に求めているようである。 []
  10. 定型的な表現だがチベット語原文がわからないので具体的な内容を判断できない。 []
  11. チベット世界の信仰上、このような聖なる湖で大声を出すのはタブーである。従ってこの行為は彼の強い意志と、その場の緊張感が前提となる。 []
  12. 原文はそうなっていないが、訳者の趣味で神および神との会話を古文調にしてみた。 []
  13. 原文の英語からは判断つかないが、現在でもブータンで日用に供されている、酒を入れる竹製の容器パランであるのは明らかだろう。そのことはまた、このストーリーの南方的要素も示唆する。張騫が西方に赴いた際に、そこ、つまりチベットあたりで竹製の杖をつく老人を発見し、南方、つまりインドへの交易路が通じていることを知り、匈奴包囲戦略の一環として雲南からインド方面への街道を整備することを進言した、というエピソードが知られている。 []

Bookmark the permalink.

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です