GLOFとオプツォ家

先日の「第3回日本ブータン研究会」、いろいろ勉強になったが、ブータンの山岳地帯についての帝京平成大学の小森次郎さんの情報は、旅行者が足を踏み入れるのが難しい地域ということもあって刺激を受けた。物事を裏からも眺めてみることは重要である。その点、小森さんはブータン北方の山をブータン側からだけでなく、チベット側からも見たことがあるという、非常に珍しい経験をもっている。 (さらに…)

ドゥンサムの「湖水魚蛇型」伝承3

メラ・サクテンの移住時期

文献資料が不十分なこと、また、それがゾンの火災などの影響で、ある時期のものがごっそり抜けていることがあること、文献そのものが僧侶が宗教的な目的で書かれたものが中心で「世俗の雑事」あるいは「紅旗征戎」にはそもそも関心がないため*[01] そこから客観的な史実を再構成することが難しいという根本的な弱みがある。また、これはブータンに限らず歴史資料一般に言えることだが、中央からの視点で周辺が描かれ、そもそも周辺と位置づけられた地域は極端に記述が少なくなるといったこともある。 (さらに…)


  1. 「ブータン資料はすべて、俗世のことには関心がない僧侶の手になるもので、この時代のブータン史の一面しか伝えず、すべては純粋に宗教的観点から書かれる。」、今枝由郎 『ブータン中世史』、「(シャブドゥンの伝記に関して)著者の精神的また学問的素養が逆に主題を曖昧なものにしている。この伝記からは、シャブドゥンは著者が展開する仏教のややこしい論議の中に推し消され、幽霊のような形でしか現れてこない。」,アリス,”Bhutan: eary history of a himalayan kingdom” 。この点は比較的その傾向が薄いとはいえ、ギャル・リグや、更に言えば(僧侶が語り手になることも多い)伝承にもいえるだろう。 []

ドゥンサムの「湖水魚蛇型」伝承1

ソナム・ワンディの「チャリ・マサン」伝

さて、ギャル・リグの内容の検討に入る前に、もう一つ、別伝を見てみよう。ソナム・ワンディがブータン研究所紀要に発表している“Myth, Legend and History Surrounding Dungsam”である。紹介されることが少ないドゥンサム地方の主要な伝承を複数含んでいるため、いろいろな意味で興味深い論文である。その中に、「湖水魚蛇型」と私が呼ぶ伝承、というよりは、ギャル・リグに記された伝承と非常に近いものが含まれている。 (さらに…)

『ギャル・リグ』によるションガルのドゥンの起源の伝承

「湖水魚蛇型」の祖先伝承の検討のために、マイケル・アリスが1728年に書かれたと言っている、『rGyal-rigs ギャルリグ*[01] 』の中にあるションガルの王族の由来を述べる伝承を紹介しましょう。 (さらに…)


  1. ’byung khungs gsal ba’i sgron me, 「王家の由来を照らす灯火」” []

ブータンの湖水魚蛇型祖先伝承 その4

神聖王の死

若者が成長し、その威光が広がると、人々は彼を殿様としてまつりあげた。トゥスタン*[01] の王である。いまも残るションガルのゾンは、彼……名前は忘れてしまったが*[02] ……によって建てられたと言われている。やがて、彼の力が並びなきものになり、人々は彼を怖れるようになった。こうして彼は皆の者を従わせ、養い、諍いを鎮めたのである。彼の死が近づくと、人々は奏上した。 (さらに…)


  1. 不明。アリスも綴り不明としている。しかし、具体的な地名の対応はともかく、これがションガル、あるいはトンプといったこの地域にかつて存在したといわれる地方権力の由来の説明であることは疑う余地がない。 []
  2. 別伝の紹介で説明するが、一般にはダクパ・ワンチュンとされている。 []

ブータンの湖水魚蛇型祖先伝承 その3

蛇精との戦いと遍歴

「承知しました」
そう答えて彼は出発したが、道の途中で懸念が増してきた。
「中はウツロなのではないだろうか。私は敗れて死ぬに違いない」
彼が中を覗こうとすると、隙間からその姿が猿に似た*[01] 異形の蛇が2、3匹這い出てきた。すぐに栓を戻したが、その場所こそ「ドゥル・チュ・リン(蛇の水の土地)*[02]」と呼ばれる土地であり、いまでもそのときの蛇の末裔が住んでいる。 (さらに…)


  1. この表現の意味についてはアリスも不明としている。 []
  2. 位置不明。ただ、ションガル付近は蛇が多いので有名という話を聞いたことがある。 []

ブータンの湖水魚蛇型祖先伝承 その2

神童の誕生

ドゥンの家系はウスン王*[01] の末裔だ。あるとき、インド国境のカンパディ*[02] という国の威勢のある殿様が、ツォナ*[03] の殿様のご息女*[04] を奥方として迎えることになった。 (さらに…)


  1. King ‘Od-srung:伝承によればランダルマの王子で、ツアンマ王子の甥ということになる [Aris, “Bhutan”,1978, p.98] ほか。 []
  2. 口伝のテープ起こしなので、アリスも「チベット語の綴り不明」としている。現在の地名で思い浮かぶのはカルバンディKharbandiだが、異伝との比較検討が必要だろうし、あとで説明するようなこの口伝の性格から言えば、もしカルバンディだとしても、それは現在比較的よく知られたインド国境沿いの地域の1つ、という以上の意味をもたない可能性が高い。 []
  3. 現在の西蔵自治区错那県の県庁所在地。歴史的に東ブータンの一部を含む、この地域の中心地であり、ブータンの各民族集団の祖先伝承はいずれもなんらかの形でこの地に由来を求めていることが多い []
  4. ここだけ読むと、ツォナの王家がウスン王の末裔というように読めるが、これから語られる神聖王の後継者には、彼とは直接の血縁関係にないウスン王の子孫が選ばれるため、どちらとも判断できない。従って、この部分は「湖水魚蛇型」のプロットが、後段の「転生略取型」のプロットとの整合性をとるために「貴種流離型」の要素を仲介にしている、という程度に受け止めるのが適当だろう。 []

ブータンの湖水魚蛇型祖先伝承 その1

先日、雲南講話会で小林尚礼さんのメラ・サクテンの信仰に関する講演を拝聴する機会があり、その後、脇田道子さんと3人で会ってさらに話をすることができた。私はメラ・サクテンには行ったことがなく、また伝承とか信仰には疎いのだが、1つには国境関係の歴史を調べており、それにメラ・サクテンの人たちの歴史が密接にかかわってくること、もう1つは昨年のブータン研究会の西田文信さんの講演に触発され、それ以来少数言語と民族分布にすっかはまっていることがあり、「メラ・サクテンの人たちは、いつ、どこから来たのか?」は重要な課題である。 (さらに…)